感動! ゴルゴ松本の「少年院での魂の授業」

こんな動画を見つけました。芸人のゴルゴ松本さんという方が、少年院の子供達を相手に行った授業の様子を放映したテレビ番組です。動画はいつまで見られるかわかりませんので、下に文字起こしをさせていただきました。ぜひご覧いただきたいと思います。合掌

成功する人と失敗する人。でも失敗は成功の元。辛い事があったら愚痴をこぼす。マイナスの事を言って弱音を吐く。吐くという字は口にプラス・マイナスと書く。これは、いい事も悪い事もどんどん言葉に出せということ。やな事は吐き出しちゃっていい。でもそこから成功する人・夢を実現させる人は、少しずつ変化をしていく。弱音は吐かなくなっていく。ポジティブシンキングでいい事だけを言っていく。自分の夢だけを…俺はこうする、こうなるんだ、ああなるんだという事を言っていたら、そのために必要なものが近づいてくる。だからマイナスの事を吐かなくなる。少しずつマイナスの事を取っていくと、「吐」という字は「叶」という字に変わる。
夢という字。

自分が想像をしていたりしていたことより、まだちょっと足りないなと思ったら、軌道修正をしながら、最終的な目標は変えない。紆余曲折しながらでも行けばいいだけの話。で、これは危険だと思ったら回避する。夢は叶うんだから、危険だと思ったら逃げていい。
「逃」という字は“しんにょう”に兆し。そしてその“しんにょう”を手偏に変えれば「挑」という字。挑戦の挑。

「幸せ」の反対は「辛い」。字が似ている。「幸」から一本棒を取ったら「辛」。幸せな状態でも何かが欠けたら辛くなる。「苦」「困」「災」という字に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」。こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。「難」が無い人生を「無難」という。だが無難な人生なんてありえない。だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」い。「苦難」「困難」「災難」、そういう事は普通はイヤ。でもそういう状態の事を「有難」しという。昔の人…私達の先祖はこういう言葉を作ったんだからすごい。

「命」という字は、“人を一叩き”と書く。これは心臓の事を意味している。そして、この「命」というのは、みんなを命がけで産んでくれたお母さんが一人いる。人間は全て女性から産まれる。全ての始まりは女。「女」が土「台」で“始まる”という字。だから女の人を粗末にしては絶対だめ。女の人は守ってやり優しくしてやり尊敬しなければダメ。君たちを産んでくれたお母さんは、間違いなく命をかけて産んでいる。産んだはいいが自分の子どもを見る前に死んでしまったお母さんもたくさんいる。そういう命がけの行為が出産。そういう事を人間はずっとくり返してきた。ここからはみんなが命を繋げていく。だからここで勉強して外に出たら、思いっきり命を拡げていってください。

本堂の照明を交換しました

ご信者さんから「本堂の灯りが暗く、打ち合わせなどの時に資料の字が読みにくい」とのお声をいただいていたので、思いきって照明のシステムを替えてみました。
以前のものは30Wが3つ並んだもの×2で、合計180Wの照明だったのですが、今度のものは40Wが4つ並んだもの×2となり、合計320Wと大幅に明るくなりました♪

以前の照明

↑これは以前の照明↑

しかも…これには思いがけない副産物もありました。といいますのは、LEDは、40Wの明るさの電球でも消費電力は約5Wですから、全点灯でも合計40W。140W分の節電を成し遂げた計算になるのです。
また、以前のものは全点灯が全消灯かのどちらかでしか使えなかったのですが、今度のものは2灯・4灯・6灯・全点灯と、状況に合わせて明るさを変えられるので、行事の質や時間帯に応じて電気代の調整ができます。これは非常にありがたい♪

新しい照明

↑新しい照明↑

さらに、写真でおわかりのように、今度のものはシーリングファンがついたものです。夏は扇風機として使用することができますし、冬も逆回転にすることでサーキュレーターの効果が期待できるのです。実際…回してみますと、幾分暖房効率が上がったような気がします。

というわけで、万事良くなってめでたしめでたし♪
ありがとうございました。合掌

映画『かみさまとのやくそく ~胎内記憶を語る子どもたち~』予告編

面白い動画を見つけました。「胎内記憶」と呼ばれる現象についての調査を映画化した「映画『かみさまとのやくそく ~胎内記憶を語る子どもたち~』という作品の予告編です。これは見てみたいな~。

ちなみに…少し調べてみましたが、この「胎内記憶」という事については、100年以上も前から世界中で報告されているんだそうです。

「胎内記憶」については、この研究の第一人者である産婦人科の池川明先生という方が行なった調査によると、赤ちゃんの3人に1人が「胎内記憶」を持っているのだそうで、それは言葉が話せるようになって間もない、2~4才の子に多いのだそうです。

そして…大抵の子どもは、「自分が生まれてお母さんが幸せ。それが自分にとっての幸せ」と話すのだとか。また、動画でも子どもがしゃべっていますが、産まれる前に“仏様”のような存在を知覚している子が多いのは不思議です。

とにかく、3分少々の動画ですので、ぜひご覧いただきたいと思います。合掌

麹職人の甘酒とお話会無事に終わりました!

去る2月8日、当山の御供養場を会場として、トランジションタウン浜松の発酵部主催「麹職人の甘酒とお話会」が行われました。参加者は21名で、和気藹々とした雰囲気の中…とても有意義な催しとなりました。トランジションのホームページに報告文を載せてくださいましたので、こちらの方にも転載をさせていただきます。合掌

甘酒ークショップ

麹職人の甘酒とお話会が無事に終わりました。

今回は正晨寺さんのご供養場(炊事場)をお借りして、プロの甘酒作りを見せていただきました。

講師の名倉麹店さん(今は廃業された)ご夫婦が、秘伝の技を惜しげもなく教えてくださり

参加された方は熱心なメモをとっていました。浜松にいくつかあった麹屋も今では3軒しか残っていないそうです。

温度計のいらない麹に適した温度のはかり方、通称「手引きの温度」という物を実際にやってみました。

そして、何十年も使っているという樫の木の「櫂(カイ)」という道具をつかい、

甘酒のもとを丁寧につぶす作業を行いました。

実際にやってみると思った以上に力がいる作業で、櫂はとてもそれに適した形の道具であることがよくわかり、

参加者の何名かは「欲しいー!」ともらしていました。

名倉さん

実演の合間の奥様の軽快なトークは本当に楽しくて

年末の一番忙しい時期に起きた「甘酒すっぱい事件」のお話は感動しました。

また、参加者からの素朴な疑問 「納豆はたべてもいいのか?」「お米の水分量はどれくらいか?」

といったものから、いい麹の見分け方、おいしい味噌作りの秘訣など、多くの事を教えていただくことができました。

最後に名倉さんが温めてくれた試食の甘酒は、塩加減や甘さが絶妙でとても美味しくいただきました。

今回仕込んだ甘酒はまとめて1個所において一部保温と換気をしながら熟成をするとのことです。

ある程度まとまった量を作ればとくに加温をすることがないそうです。

名倉麹店さん どうもありがとうございました。

発酵部 齋藤

自動車御本尊が守ってくださった御利益

だいぶ古い話で恐縮ですが…2年ほど前に起こった不思議な出来事をご披露します。

私は、昨年まで東京の乗泉寺でご奉公をさせていただいていたのですが、その頃は新座別院の受持を頂戴していて、自宅と別院をいったりきたりの生活をしていました。その日もいつものように早朝の5時過ぎに、新座別院に向かって車を走らせていました。世田谷の教職舎から新座までの道は、比較的に道も広く走りやすいところが多いのですが、別院のすぐ近くに一カ所だけ薄暗く…少々気味の悪い場所があります。

そこはちょうどT字路になっていて、突き当たりを右折して急坂を登るような格好になっているのですが、何かの慰霊碑のようなものが建ってるところを見ると、昔なんらかの事故か事件があった場所なのかもしれません。

突き当たりの手前には一時停止の標識があります。自分で言うのも何ですが、私は常に安全運転を心がけていますので、きちんと車を止めてカーブミラーを確認しました。異常もなさそうなので、いざ右折をしようと車を再発車させようとした瞬間…頭の上からボトッと何かが落ちてきて、それが私の足に当たったのです。

一瞬何事かと思いましたが、もう別院の近くまで来ていますし(朝は時間も貴重)、着いてからゆっくり確認をしようと思って、アクセルを踏んで車を発車させたのですが、その時にふと感じたイヤな予感!やっぱり今確認をしておこうとブレーキをかけたその時…なんと無灯火の自転車が急坂を猛スピードで下りてきて、私のすぐ目の前を横切っていったのです。

ゾーッと鳥肌が立って身震いがしました。もし車を止めていなかったら、おそらく自転車は私の車の横っ腹に思い切り激突して大事故になっていたに違いありません。酔っぱらい運転だったのか?それともブレーキが効かなかったのか?それはわかりませんが…車のライトは明らかに見えていたはずなのに、ちょっと考えられない状況でした。

少しの間…呆然としていましたが、気を取り直して足下に落ちたものを拾おうと思って車内灯をつけた瞬間、再びの鳥肌…なんと、上から落ちてきたのは、日よけのバイザーのところにご安置させて頂いていた自動車御本尊だったのです。

その車に乗り替えて5年ほど。今まで一度もこんななことはありませんでしたから、何とも不思議な出来事です。事実、それからも一度も落ちてきたことはありません。これは…御本尊が「危ないよ」と注意を促してくださったとしか思えないのでした。

大きな御利益を頂戴しました。そして、あらためて御宝前のお守りの有難さに随喜をさせていただきました。別院に着いて、さっそく災難除滅と交通安全の御礼を上げたことは言うまでもありません。そして、それ以来…なお一層の安全運転につとめています。

ありがとうございました。合掌

自然農法家 福岡正信氏

今回は、私がかなり大きな影響を受けている自然農法家の福岡正信さんという方をご紹介しようと思います。生前…縁あって一度お会いしたことがあるのですが、ものすごいオーラを持った方でした。
動画はいつか削除されるかもしれないので、いちおう内容を書き起こしておきます。

“耕さない、雑草を抜かない、農薬も化学肥料も与えない”
福岡正信さんは自然農法を実践し、世界中の農業者に大きな影響を与えました。

福岡「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか、それが最大のモットー。ああする こうするじゃなくて、何もしないようにするには、昼寝するにはどうしたらいいか」

福岡さんは、大正2年に愛媛県伊予市に生まれました。実家は代々続く名家で、父親は村長をつとめたこともあります。現在の岐阜大学で植物病理学を学び、卒業後は横浜の税関で植物の検疫の仕事につき、みかんの病気を研究しました。転機をむかえたのは25歳の時、急性肺炎にかかり死の淵を彷徨ったことが福岡さんの価値観を大きく変えました。

福岡「人間の知恵と力はまったく役に立ってないことに、25歳の春気がついた。自分の生き方は自然農法をやって、百姓になって生きていくだけだと、食って寝て生きていればいいという結論が出てしまった」

福岡さんは研究者のキャリアを捨て、故郷の伊予市で自然農法を実践します。

福岡「科学が無用…無能というか、人間の一切の科学的知識が無駄に終わるということを証明しようとしている。自分が米を作ったりしているのもそう。何もしなきゃ結構できるじゃないか。やればやるだけ自然から離れて、人間の知恵でやるほど難しくなる」

福岡さんの米作りは常識を覆すものでした。水田に苗を植えるのではなく、種籾を土の上に直に蒔きます。化学肥料や農薬は一切使わず、代わりにわらを蒔きます。そうすることで土地が肥え、雑草を抑えてくれるといいます。
さらにユニークなのが、稲を刈る前に次に育てる麦を蒔くこと。

福岡「稲があるうちに麦をまいておけば、稲刈りするときに麦がなっている。稲があるうちに麦が生えているから、稲刈りした後で草が生える余地が無い」

この常識破りの農法で、福岡さんは他の農家に勝るとも劣らない収量を上げ、次第に世間の注目を浴びるようになります。

福岡「今の農法というのは、人間の知恵でやった農法。弥生時代、その前の縄文時代は人間の知恵じゃなくて、人間も自然の一員として生活していたことが、そのまま農業の方に及ぼす。人間の知恵を否定、科学を否定し、文明を否定したら、残るのは自然農法。原点に帰った自然農法しか残らない」

62歳の時、福岡さんは自然農法の経験を本にまとめました。

「革命というものは、このわら一本からでもおこせる。このわらは軽くて小さい。だが人びとはこのわらの重さを知らない。このわらの真価を多くの人びとが知れば、人間革命がおこり国家社会を動かす力となる」(わら一本の革命より)

わら一本の革命は、世界各国に翻訳され、福岡さんの名は広く知られるようになります。国籍を問わず多くの若者が福岡さんの元に集まり、共同生活を送りながら自然農法を学びました。

福岡「日本の農村青年は、言っては悪いけど…終戦後、近代化とかなんとかということで、徹底的にいわゆる企業農法みたいなものをたたき込まれている。うちへ来るのは、むしろ都会でね、コンピューターやった、電気やっていた、自動車乗っていたというような人が、先をはじいてみたら大体見通しがついたと来るような人の方が多い。畑違いの人で、絶望したというか都会文明から抜け出そうとするようなのが多い」

福岡さんの自然農法、その集大成といえるのが「粘土団子」です。土にさまざまな種類の種をまぜ、水を加えて練り込みます。果樹や野菜だけでなくクローバーや薬草の種も入っています。この粘土団子を農園内どこにでも蒔いて回ります。

福岡「これをこうしてまいて、するとスズメが食わない、ネズミが食わない。ひと雨降ると水分で発芽して根がおりる。この粘土団子でまけば耕す必要はない」

粘土団子を蒔いた農園です。団子にふくまれていたたくさんの種の中から、その場所と季節に合った作物が、人間の力を借りなくてもすくすく育つのだと、福岡さんは言います。

福岡「たくさんのものをまいておけば、必ずどれかが成功しやすい。種類を限定してまくと、ここは大根がよかろう、ここはカボチャがよかろうなんて、区別してまくとかえって大きな発見ができない。こんな所にゴボウができるとは思わなかった所にできるとか、たくさんまいておけば教えてくれる、自然が」

粘土団子は、世界中で注目を集めました。特に熱い関心を寄せたのが、食料不足や土地の砂漠化に悩むアジア・アフリカの発展途上国でした。福岡さんはしばしば現地に招かれ、粘土団子を使い土地の緑化や食料の増産に力をつくしました。その功績が認められ、アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」を受賞します。

福岡「まあ、この年になりまして40~50年、自然農法をやってきたけれど、結局何をやっていたかというと、考えてみれば砂漠化防止の研究をしていたとも言える。砂漠地帯へ行ってみて、自分の自然農法が役立つか役立たないかを見てみたいというのが、ひとつの動機だったんでしょうかね」

世間の喧噪を逃れ、自給自足の生活を送った福岡正信さん。自然が主役という信念は、95歳で亡くなるまで、生涯揺るぎませんでした。

福岡「何もしないのが最高の農法になる。何もしない。人間の知恵を否定するし、モノに価値があるんじゃないと、人間が生産しているんじゃない。自然が作っているんだと、これは。草一本人間が作っているんじゃない。自然が作っているんだ」