京都佛立ミュージアムが朝日新聞に紹介されました

朝日新聞の2月7日版に、京都佛立ミュージアムの記事が掲載されました。たまたま発見してびっくりしました。全国版の新聞に載せていただけるとは本当にありがたいことです。全文を転載いたしますのでお読みくださると嬉しいです。合掌

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「雄大で勢いに満ちた書!」

「今年は本門佛立宗の開祖、長松清風(1817〜90)の生誕200年にあたります。京都の商家に生まれ、若くして書画、詩歌、国学などに通じた町人学者となりましたが、仏教の道に進みます。死後ではなく現世の生活を重視する在家主義の立場から独自の教えを説きました。

そんな清風の魅力を紹介する「幕末維新の仏教改革者 長松清風展」が10月15日まで京都佛立ミュージアム(京都市上京区)で開かれています。これまで「宮沢賢治と法華経展」「ブラジルと仏教展」「坂本龍馬と仏教展」などを開催。目指しているのは、今を生きる人にとっての道しるべとなる「躍動の仏教」を紹介することだといいます。
清風の代表的な作品の一つが、清風寺(大阪市北区)所蔵の「屏風」。中国の詩集「詩経」の一句「鳶飛天魚躍干淵」(鳶飛んで天に戻(いた)り魚(うお)淵に躍る)を揮毫しています。

「鳶は自由に天まで飛び上がり、魚は何の恐れもなく楽しんで淵に躍っている。万物が所を得ている、世の太平を表しています。まさに鳶と魚のように雄大で勢いに満ちた書です」と同館は解説しています。

歌人、学者、芸術家としても才能を発揮した宗教家・清風の人生を知る旅に出かけませんか。」

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京都佛立ミュージアム(075-288-3344)は入場無料。月曜休館(月曜が祝日か25日の場合は翌日が休館)。開館時間は平日が午前10時~午後4時、土日祝が午前10時~午後5時。

 

 


2017年 迎春

正晨寺信徒のみなさま、ならびに当ホームページをご覧になってくださっているみなさま、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年に際しまして…仏様のありがたいおことばをお贈りいたします。

「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

皆様のこの年が素晴らしく充実したものでありますように。合掌

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「長松清風の書の特徴」 書家・デザイナー 佐々木まなび

我々の宗派の開祖である日扇聖人(長松清風)は、出家する以前には一流の文化人として京都に広く名を馳せていた方であり、若くして書・画・和歌・国学を修め、どの世界でもすぐれた才能を示していた。

特に、「書」の力は凄まじく、その書風は時に豪快で、また時に繊細でもあり、自由で型にとらわれない様は圧巻である。今までは、宗門として日扇聖人のそのような文化的な側面をアピールするようなことはあまりしてこなかったので、ご存じない方も多いと思うが、同時代の三筆と呼ばれた市河米庵・巻菱湖・貫名菘翁などと比べても全く遜色がないほどの素晴らしい腕前である。

この度…石川九楊氏のお弟子さんで、書家でデザイナーでもある佐々木まなびさんという方が本山宥清寺に来寺され、日扇聖人の書について詳しく書評をしてくださった。
なかなか拝見することのできない作品も紹介されている動画なので、アートの好きな方(特に書道に興味のあられる方)は、ぜひご覧くださいませ。合掌

 


野球で「東京」へ 3世の夢

ブラジル佛立宗のコレイア師に紹介されて、当山の所属としてお預かりしている水野ジョナタン君が新聞に載りました。とても良い記事です。ぜひお読みくださいませ。合掌

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『野球で「東京」へ 3世の夢』
読売新聞 2016年7月21日

南米初となるリオデジャネイロ五輪(8月5日~21日)が、まもなく開幕する。コーヒーやサッカーなどブラジルを象徴する文化やスポーツは日本にも根付いているが、両国交流の歴史を築いてきたのは100年余り前、地球の反対側に渡った日本からの移民と、その子孫たちだ。そんな“遠くて近い”両国の関係者が、「リオと東京」という二つの五輪に特別な思いを寄せる。

浜松市内にある高校のグラウンド。照明の下、野球のクラブチーム「浜松ケイ・スポーツBC」に所属する水野ジョナタン正一さん(20)が週2回、チームメイトと一緒に練習に打ち込む。

ジョナタンさんは2014年3月、ブラジル・パラナ州クリチバから日本に来た日系3世。平日の昼間は楽器工場で派遣工員として働きながら、夜はグラウンドやジムなどに向かう。

ブラジルでは、地元のクラブチームに中学生から参加。12年には全国大会で優勝し、大会の「ベスト・ピッチャー」に選ばれたこともあるが、サッカーの盛んなブラジルでは将来、プレーする場が限られてくるのは、わかっていた。「野球が盛んなおじいさんの祖国・日本でプロになりたい」

その祖父は、1908年に781人の日本人を率いて海を渡った高知県出身の実業家、水野龍氏。ブラジルへの日本人移民の歴史は、この第一陣を乗せた移民船「笠戸丸」の航海から始まり、水野氏は「ブラジル移民の父」と称された。そして、ジョナタンさんの来日は、没後60年以上が過ぎた水野氏が導いた。

出身地の同県佐川町とホームタウン協定を結ぶ野球の独立リーグ傘下の高知ファイティングドッグスが、ジョナタンさんを練習生として受け入れ、生活費は水野氏の顕彰会が支援した。

しかし、日本の野球のレベルは高く、目立った成績を残すことができず、昨秋、浜松へ移籍。投球フォームを作り直すところから始めているが、最近、右ひじに痛みを覚える。部長の中村好志さん(51)は「投げ方が悪いから。でも、良くなってきたし、ようやく体もできてきた」と話すが、本人は日本での挑戦に区切りを付け、帰国することも時々、考える。水野氏の三男にあたる高齢の父、龍三郎さん(85)が心配だからだ。

国に戻ったら、家族を支えるため大学に進学し直し、就職することになるが、ひそかに描く夢もある。4年後の東京五輪で、競技種目に野球が復活したら…。「ブラジル代表になって、日本と試合がしたい」。

両親と自分の古里・ブラジル・祖父の国・日本とをつなぐ絆が、五輪でまた強くなる。

■移住100年 父は誇り

人口100万人を擁する南米最大の都市・サンパウロ。意匠を凝らした墓石が並び、地元の美術大生も見学に訪れるという墓地の奥まった一面に、漢字が刻まれた素朴な墓がある。

ここに眠るのは水野龍氏。1908年、神戸港を出た最初の移民船「笠戸丸」で日本人781人をブラジルへと率い、「ブラジル移民の父」と称される人物だ。
「南無妙法蓮華経…」。6月のある日、水野氏の墓前に、イタリア移民の血を引く僧侶、マルコス・コレイアさん(48)の姿があった。水野さんは檀家で、コレイアさんは月命日の前後、墓を訪れ、経を唱えている。

ブラジルに仏教を伝えたのは、笠戸丸に1人だけいた僧侶だったとされ、コレイアさんは、その弟子筋。
「師匠を連れてきてくれたのが水野さん。私が仏教と出会い、こうして供養できるのも、100年を超えた縁です」と語る。

「僕は、父をずっと悪人だと思っていたんです」。サンパウロから南西約350キロのパラナ州クリチバ。ここで生まれ育った水野氏の三男で、日系2世の龍三郎さん(85)は父を語る時、決まって、こう切り出す。

高知県出身の水野氏は、慶應義塾を卒業して仕事を転々とした後、03年に「皇国植民会社」を作った。当時のブラジルは、奴隷解放によりコーヒー農園の働き手が不足。一方、日本では日露戦争後の経済の疲弊や食糧難から、新天地を求めて移住を考える人が大勢いた。

水野氏はその後も日本との間を行き来し、東京・銀座などにコーヒーチェーン店「カフェーパウリスタ」を開店し、ブラジル産のコーヒーを低価格で販売。ハイカラな雰囲気の銀座の店には、芥川龍之介ら多くの文士も出入りし、コーヒーを広めるきっかけとなった。

だが、ブラジルへ渡った移民の中には、苦境に陥る人も少なくなかった。初期の頃、コーヒー農園のコロノ(農業労働者)として雇われた多くは、床板もない掘っ立て小屋同然の施設に押し込められ、農園主らからかねや笛で追い立てられるように働かせられた。

「水野にだまされて、連れてこられた」。龍三郎さんは子供の頃、周囲の移民たちから、そんな言葉を幾度となく浴びせられた記憶が鮮明に残っている。

水野氏はその後、クリチバから北西に約100キロ離れた同州ポンタグロッサに、理想郷を求めて移住した。その資金繰りのために帰国中、第二次世界大戦で連合国側についたブラジルと日本は国交を断絶。終戦から5年後、ようやく戻ることができたが、土地は人手に渡り、水野氏は翌51年、失意のうち91歳で亡くなった。

笠戸丸移民から100年余を経て再評価された父を、「頑固で、子供の目にはとても恐ろしい人に映ったが、決して私欲だけで移民事業を進めたのではなかった」と龍三郎さんは誇りに思う。

龍三郎さんは97年から2年間、出稼ぎのため、妻のヤナギヤミズノ・レジナさん(41)(日系2世)と、生後間もないジョナタンさんを連れて来日し、浜松で暮らした。

そのジョナタンさんが成長し、今度は、日本のプロ野球を目指して再び海を渡ろうと決意。龍三郎さんは、「水野の孫なのだから、恥ずかしいことだけはしないように」と言って送り出した。

日本との間を行き来し、戦中戦後の9年間、ブラジルに戻れなかった父。それだけに、龍三郎さんは「家族はやっぱり一緒に暮らす方がいい。みんなでジョナタンの夢を応援したい」。
息子はブラジルに戻ってもいいと言うが、龍三郎さんは家族を連れ、父の祖国へ渡ることも考えている。


「ミニ法話と音楽のゆうべ 水無月 雨やどりコンサート」の動画

 

6月11日に行われた「ミニ法話と音楽のゆうべ 水無月 雨やどりコンサート」の動画が出来上がりました。素晴らしいコンサートの様子をミュージシャン方の許可をいただいて、特別に6曲アップさせていただきます。ぜひご覧くださいませ。合掌

【Rainy Days and Mondays 】
言わずと知れたカーペンターズの名曲。芳名は「雨の日と月曜日は」

【雨降り】
鈴木麻美さんのユニット「JazzDialogue」のオリジナル曲。
作詞 鈴木麻美 作曲 藤森潤一

【ふきの傘】
丸山研二郎さんのオリジナル曲。
作詞 作曲 丸山研二郎

【雨のステイション】
松任谷由実(ユーミン) の名曲。

【春】
丸山研二郎さんのオリジナル曲。
作詞 作曲 丸山研二郎

【遠くの花火】
鈴木麻美さんのユニット「JazzDialogue」のオリジナル曲。
作詞 鈴木麻美 作曲 藤森潤一


寺社カフェのご案内 

このたび浜松市の文化事業として開催される「寺社カフェ」という企画に、私達の正晨寺も参加させていただくことになりました。

この企画はNPO法人「楽舎」の代表を務められる池谷さんが立てたもので、3月23~31日までの間の数日…参加をするお寺などが地域に対してそれぞれ門戸を開き、来訪者をおもてなしするというイベントです。
※ここから公式のパンフレットがダウンロードできます↓
http://raksha.jp.net/jinja-tera-cafe/

本来、お寺という場所は、文化や伝統を継承し…人と人とをつなげるコミュニティの場所だったはずなのですが、昨今はそういう活動をするところは非常に少なくなり、ただ自坊の信者(檀家)としか関わらないところがほとんどです。
私達も、そういう現状には憂慮を抱いておりましたので、少しでも地域のお役に立てることを嬉しく思います。

当山の参加日は29~30日、両日とも時間は10~16時です。
訪問者のお名前を御宝前に言上して、その方の心願成就や病気平癒などの御祈願をさせていただき、一緒に御題目(南無妙法蓮華経)をお唱えします。終了後はお茶などを飲みながら悩み事などの相談にも乗れればと思っています。

どなたでも自由にご参拝できます。皆様のお越しを心よりお待ちしております。合掌

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ギタリスト シンガーソングライター 丸山研二郎

2月11日の中日新聞が、私の弟「丸山研二郎」のことを取り上げてくださいましたので、ここに転載させていただきます。よかったらご覧くださいませ。合掌

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ここ数年、さまざまなシーンで丸山研二郎(33)の名前を目にしてきた。静岡市内のライブハウスやライブバー、カフェをはじめ、ダンス公演、ワークショップ、映像音楽、和楽器や朗読との共演、サポートギタリスト…。今や、それだけ必要とされている存在なのだろう。

手掛ける音楽はフォークソングの弾き語りもあれば、ジャンルを織り交ぜたギターインストゥルメンタルなど、ジャンルや演奏形式にしばられない。メロディーや歌詞に強いメッセージを込めて、聴く人それぞれの解釈を誘う。

たとえば、野原の陰に生きる小さな虫を描いた「ふきの傘」はギターの音色だけで絵本のような世界観を醸し出す。ギターを激しくかき鳴らす間奏では、木々がざわめく風景が目に浮かんだ。

出身は浜松市、「マルケン」の愛称で親しまれ、静岡を拠点に県内外で活動している。音楽に目覚めたのは高校生の時だ。「ギターを持ち始めた僕に、音楽マニアの兄が世界中の音楽を聴かせてくれたのがきっかけで、現在、過去に関係なく、自分の耳に心地よい音楽を探すようになりました」

その後、大学時代の映像への音楽提供や、和楽器奏者の原口朋丈との出会いから次第にコラボレーションを好むようになった。これまで、さまざまな活動をしてきたが、ホームレス経験のあるダンサーの公演を2年前に見たのが特に印象深いという。

「舞台に立ってしばらく動かないんです。すごい存在感でくぎ付けになりました。そのとき、自分は物の見方に縛られていると思いましたね」

2月13、14日には、静岡市で3年目の出演となる「コミュニティダンス・フェスティバル」が開催される。
「出演ダンサーは必ずしもプロじゃない。それぞれ身の丈にあった身体表現で、日常を垣間見れるところが面白い。ダンサーの内面を引き出せる演奏で後押ししていきたい」(コピーライター・天野のりこ)


「仏壇」が子供の情操に好影響 保有率低下の一方注目される効能

ネットで面白い記事を見つけたので転載します。これは2016年の1月29日の産経新聞に掲載された記事のようです。合掌

【「仏壇」が子供の情操に好影響 保有率低下の一方注目される効能】

住宅事情の変化などを背景に、保有率の低下が進む仏壇。一方で、7割近い人が仏壇に手を合わせる習慣を持つほか、仏壇の存在が子供の情操面でも好影響を与えていることを示すデータがまとめられるなどしている。“仏壇離れ”は進むが、日本人の生活にとってまだまだ大きな存在であるようだ。

■平成25年は4割

ミニ仏壇や手元供養品などを扱う「インブルームス」(静岡市)の平成25年の調査によると、仏壇の保有率(2人以上で暮らす世帯)は39・2%だった。これを、住宅種類別で比較すると、一戸建てでは半数以上の51・8%が保有。マンションなど集合住宅では21・1%にとどまった。

持ち家に比べて、面積が制限されるマンションでは、仏壇を置く空間が確保できず、それが保有率の低さにつながっているようだ。

核家族や単身世帯など家族構成が小規模化していることも仏壇の保有率低下の一因になっている。多くの人が、仏壇を「釈迦(しゃか)や宗祖を祭る宗教的空間」とはとらえず、「亡くなった人を弔う空間」と考えている。そのため、「家族でまだ亡くなった人がいない」「1人暮らしなので、自分のための仏壇を持っても意味がない」といった理由で仏壇を持たない人も増えているからだ。

経済産業省の商業統計によると、仏壇や宗教用具の市場規模はこの20年間で半減するまでになっている。

■墓参りに次ぐ習慣

とはいえ、仏壇は信仰や先祖供養にとって大切な空間となっている。

第一生命経済研究所が18年に行った、「日頃どのような宗教的行動をとっているか」を尋ねた調査では、「仏壇や神棚に花を供えたり、手を合わせたりする」は7割近い人が実施していることが分かった。これは「年に1、2回程度は墓参りをしている」のおよそ8割に次いで高い数字となった。

仏壇に手を合わせることを習慣としている人を年齢別にみると、40代では55・5%だったが、年齢が上がって65~74歳となると、81・4%もの人が該当した。

仏壇があるとないとでは、先祖や故人に対する供養の気持ちに違いが生じているという調査結果もある。「インブルームス」の調査では、「先祖、故人に対して、供養が十分であると思うか」という質問に対して、「十分である」「どちらかといえば足りている」と回答した人は、仏壇保有者で63・0%、仏壇がない人は48・7%だった。

■優しい子に

仏壇参りと子供たちの「優しさ」の関係性を調査した面白いデータがある。

線香や香の老舗である「日本香堂」(東京都)は昨年、“尾木ママ”こと教育評論家の尾木直樹さんの指導・監修で「子ども達の『供養経験』と『やさしさ』の関係性」を調査した。

12歳から18歳の男女約1200人を、仏壇参りを「毎回」「時々」「しない」の3つのグループに分けて、他者への優しさに対する比較を行ったところ、明確な差が見られた。

例えば、「誰かが悩みを話すとき『そんなこと知らない』とは思わない」という子供は「毎回」のグループでは56・6%なのに対して、「しない」のグループでは43・9%しかいなかった。「誰かが困っているとき、その人のためにそばにいたい」とする子供が「毎回」では45・6%いたのに対し、「しない」では33・2%と10ポイント以上もの差が開いた。

仏壇業者らでつくる全日本宗教用具協同組合(全宗協)で広報担当をしている保志康徳さんは、「仏壇は心の文化や祈りの文化を継承する役割を担ってきた。仏壇に手を合わせるということが、感謝の気持ちを増幅したり、見えないものに対して畏敬の念を持ったりといった点で、いい方向に影響しているのではないか」とみている。(『終活読本ソナエ』2016年冬号に詳細を掲載)


謹賀新年

正晨寺信徒の皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お年賀のつもりで、大好きな音楽をお贈りします。
ブラッド・メルドーの演奏する「Baby Plays Around」という曲です。
優しいピアノの音色に癒されて、皆様の1年がますます素晴らしくなりますように♪

※You Tubeを探したのですが見つからなかったので、自分で動画を作ってみました。
忙しいのについつい凝ってしまって(笑)、今年撮ったいろいろな美しい景色の写真を使い、映像の切り替わるタイミングを合わせたりしていたら、10分の動画を作るのに3時間以上かかってしまいましたよ(汗)。