日仏合作ドキュメンタリー 『千年の一滴 だし しょうゆ』

この映画見たいです。いまシネマイーラでやってるのですが…
○5/23(土)〜 5/29(金)11:55 (1日1回)
○5/30(土)〜 6/5 (金)10:00 (1日1回)
でも忙しいからちょっと無理かも…

日仏合作ドキュメンタリー 『千年の一滴 だし しょうゆ』

第1章「だし:大自然のエッセンス」
日本の味の基本、「だし」。これは仏教の肉食禁止令のもと、肉に代わる“うまみ”を探し求めた人々が、およそ千年かけて、雄大な自然から見つけたものでした。 最新の食品科学は「だし」が健康によく、理にかなっていることを明らかにしています。 漁師・農家・禅寺・料亭・科学者―。「だし」をめぐる人々の営みを追い、大自然から“うまみ”のエッセンスを取り出してきた日本人の知恵を描きます。

第2章 「しょうゆ:ミクロの世界との対話」
和食の“うまみ”がつまった調味料(しょうゆ・さけ・みりん・みそ)は、1種類のカビ(麹カビ)によって作られます。 特撮を駆使したミクロの映像で、千年にわたって磨かれた職人たちの知恵と、麹カビによる和食創世のドラマを浮かび上がらせます。


正晨寺の節電対策

先日、友人で「節電カウンセラー」をしている吉岡君が、ボランティアとしてお寺の節電診断をしてくれました。そもそも…私が帰山してから、照明のLED化には積極的に取り組んでいましたので、既に毎月3千円分くらいの節電は達成しているのですが、その他にもいくつかの問題が発覚して、今後の課題を確かめる事ができました。

まず、正晨寺は水道が通っておらず、井戸水をポンプで汲み上げて使っているので、その動力に電気を使っているのですが、これが最も割合が高く全体の27%。しかし、これはどうにも節約はできそうにありません。

次に電気を食っているのが冷蔵庫。お総講などの時に御供養をお出しする関係で、お寺には全部で5台の冷蔵庫があり…しかもそれらのほとんどがだいぶ古い型の機械なので、全部合わせると全体の26%にもなります。ここはだいぶ節約の余地があります。
仮に、最も古くて電気を食う機械を3台処分して、それを最新型の大きな物1台に替えると、1年で2万円以上の節約になるそうで、本来はできるだけ早く対処したいところです。
とは言っても、まだ使える物を無理矢理廃棄して新しい物を買うのには若干抵抗がありますから、今ある物のどれかが壊れた時がチャンスという事ですね。

あと、意外に高くて驚いたのがトイレの便座。便座を温める機能が月に約1200円。ウォシュレットが月に約1300円。5台の便座分を全て合計すると…なんと月に17000円ぐらい電気代がかかっているというのです。ウォシュレットは切れないにしても、今の季節に便座を温める必要はありませんから、その辺は“対応”でだいぶ安くすることができそうなので、ここは早速実践をしてみようと思います。

それと、問題なのは「待機電力」。電化製品を使ってもいないのに、コンセントが入っているだけで支払っている料金が…なんと月に1500円ぐらい!これもある程度なんとかしたい部分です。いちいちコンセントを抜いたり差したりするのは手間ですが、スイッチ付きのタップを取り付けてそれを操作するぐらいなら何とかできそうなので、そこも少しずつ考えてみるつもりです。

その他にもいろいろと指導をしてもらって、お寺全体で月に8000円ぐらいの電気代の節約ができそうな気配で、本当に有意義な経験をさせてもらいました。
「お寺はそもそも施設が広いので、かなりの節電ができるんだろう?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、吉岡君いわく…一般の家庭でもちょっと考えるだけで2~3000円分程度の節電は比較的簡単にできるそうなので、皆様のお宅でも“節電対策”に取り組んでみたらいかがですか?合掌

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キング牧師の名言

いろいろと調べ物をしていたら、 キング牧師という人の名言をいくつか見つけました。
このキング牧師という方は、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者として活躍した人で、最後は白人に暗殺されて亡くなっています。
どうしてお寺のブログにキリスト教の牧師さんの名言を?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが(苦笑)、とても良いことをおっしゃっていますので、英語の勉強も兼ねて…原文と訳もつけて、いくつかご紹介をしようと思います。合掌

キング牧師

Every man must decide whether he will walk in the light of creative altruism or in the darkness of destructive selfishness.
人間はだれでも、創造的な利他主義という光の道を歩むのか、それとも破壊的な利己主義という闇の道を歩むのか決断しなければならない。

Our scientific power has outrun our spiritual power. We have guided missiles and misguided men.
科学の力が、私たちの精神的な力をしのいでいる。私たちはミサイルを正しく撃つことはできても、人間を正しく導くことはできない。

Those who are not looking for happiness are the most likely to find it, because those who are searching forget that the surest way to be happy is to seek happiness for others.
幸せを探そうとしない人は、もっとも確実に幸せを見つける。なぜなら、幸せを探す人は、幸せになるもっとも確実な方法を忘れているからだ。それは、他人の幸せを探すということだ。

An individual has not started living until he can rise above the narrow confines of his individualistic concerns to the broader concerns of all humanity.
人は、個人的な狭い関心事を越え、人類全体に関わる広い関心事に向かうようになって初めて本当の人生を歩み始めるのである。


睡眠のプロが作った「絶対眠れる動画」

こんな変な動画を見つけました。睡眠のプロが作った「絶対眠れる動画」だそうです。
3つとも単調な動画なのですがいくつかのポイントがあるらしく…

【ポイント1】「馴化」という人間の生理現象に立脚した「オリジナル授業」を開発
馴化とは、単調な刺激を与え続けることで、刺激として感じなくなることをいいます。その馴化を起こさせ、眠気を促進させる授業内容にしています。

【ポイント2】単調な刺激を持続的に与える「眠くなる話し方」を導入
眠気を誘う、一定のリズムによる抑揚のない話し方を追求。特に日本史・美術史に関しては、眠くなる声のプロを別途起用し、アテレコしています。(美術史は、安眠ボイスの異名をとる、能登麻美子さんを起用しています)

【ポイント3】眠気を誘うと言われる特殊BGM「バイノーラル・ビート」を活用
異なる周波数の音を(イヤホンで)左右の耳から聞くことで、睡眠時・リラックス時と同様の周波数の脳波を作り出せると言われているバイノーラル・ビートをBGMに活用しています。

【ポイント4】視覚から副交感神経に働きかける「夕焼けの暖色」を再現
夕焼けなどの温かい色味は、副交感神経に働きかけ、リラックスしやすい状態を作り出してくれます。聴覚だけでなく、視覚的にも眠くなる仕掛けが取り入れられています。

【ポイント5】意識が遠のいていくギミック「ぼかし&エコー」で後半たたみかけ
誰もが授業中に経験したことのある、眠いけど寝てはいけないと必死に抵抗する時のあの感覚。だんだんと黒板の文字、先生の顔がぼやけてきて…眠りの疑似体験効果が、本当の睡眠へと誘います。

【ポイント6】授業時間は、仮眠に最適な「15分」
各授業ともに、仮眠に最適な時間で目覚めてもらえるように、それぞれ 約15分で構成されています。日々の受験勉強で脳が疲れていると感じたときにこの授業を受けることで、疲労回復、記憶の整理、集中力の向上が期待できます。

だそうです。私は寝付きのいい方なので、こういう動画は必要ありませんが、寝付きの悪い人は試してみてください。ただ、この動画が作られた目的が受験生の勉強の合間の休憩らしいので、最後に思いっきり目覚ましの音が(笑)
まあ、興味のある方はご覧になってください。合掌

関ヶ原の戦いに参戦した武将の名前を全員紹介してくれる、とても興味が続かない単調な動画です。

長すぎるピカソの本名を、安眠ボイスの異名をとる能登さんの声で何度も繰り返してくれる、丁寧で退屈な授業です。

デカルトについての難解な内容を一方的な語り口で延々と説明してくれる、途中でどうでもよくなる授業です。


福沢諭吉の7箇条の名言

先日、御法門を作成している時に、ふとした事から福沢諭吉が言ったとされる7箇条の名言を見つけましたので、こちらにもご紹介してみようと思います。

1、世の中で一番楽しい立派なことは、一生を貫く仕事を持つことある。
2、世の中で一番みじめなことは、教養のないことである。
3、世の中で一番みにくいことは、人の生活を羨むことである。
4、世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して恩に着せないことである。
5、世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持てることである。
6、世の中で一番恥ずかしいことは、嘘を言うことである。
7、世の中で一番寂しいことは、仕事がないことである。

以上ですが、如何でしょうか?私達人間というものは、ただ食べて寝て、子孫を残すためにのみ生きている畜生とは違いますから、常に人間らしく尊く存在するためには、しっかりとした人生観というものを持つ必要があります。
そして、いずれ来る臨終のゆうべには、「ああ、自分の人生は誰にも恥じることのない悔いのない幸せな人生だった」と笑って死ねるように、毎日の不断の努力を重ねたいものです。

昨今の世相を見ていますと、ただ自分の欲望のためのみに生き、他を省みない人間が非常に多くなってきているように感じます。しかしながら、それでは本当の幸せは手に入らないばかりか、社会も自分もますます悪くなっていくばかりです。現代に生きる私達は、もう一度人間の「真の生き方」というものを考え直す時機にきているのではないでしょうか?

福沢諭吉の7箇条の名言を読んで、ふとそんな事を感じた次第です。合掌


常に「死を意識している」人たちが、人生を最高に楽しんでいる9つのワケ

ネットでまた面白い記事を見つけました。きちんと自分の“死”を意識することが、実は本当の“自由”を手にすることにつながるという内容です。微妙に納得できない部分もありますが、いろいろと私達の人生にも応用のきく内容もありますから、良ければご覧ください。以下は転載です。

 

1.自分の物語を俯瞰的に考えることができる
どんな物事にも、必ず終わりがあるものです。その「終わり」を意識することで、「今」を最大限楽しむことができます。私たちを邪魔する些細なことから手を離し、短い人生の中の「終わり」を意識してみましょう。そういう視点を持てると、長い行列や電車の遅れ、悪天候だって楽しむことができます。

2.八方美人なんて必要ない。本当に大切な人と付き合える
自分の時間を台無しにするような人とは、付き合わないようにしましょう。常に死を意識している人は、自分の生活に新たな価値観や深みを与えてくれる人とだけ付き合っています。彼らは自分が有害だと判断した人付き合いは早々に打ち切り、良いと思った人とはすぐに仲良くなります。なぜなら彼らは、自分たちの時間が有限であることを知っているからです。

3.お金を無駄に溜めないで自分の投資のために使える
貯金は大切なことかもしれません。でも、「後々の生活に必要だ」と思って貯めているお金は、いったいいつ使うのでしょうか?人生は一度きりだし、同じ日は二度と訪れません。いつかは使ってしまうお金ですから、二度とない一つ一つの経験や瞬間を味わい、楽しみましょう。その時の体験に集中しましょう。常に死を意識している人は、お金の使い時を知っています。

4.失敗や挑戦に怖がらなくなる
もし間違えてしまったら・・・。そんなこと、死を前にしたら、ちっぽけなものです。死とは、あなたが知っていて愛している全てのものからの別れです。それと比べたら、あらゆる脅威は大したことではないのです。死を意識することで、生きているときに訪れる恐怖を、和らげることができるのです。

5.死ぬ気で常にベストを尽くす
いつかは自分も死ぬということを意識する。そのときは明日かもしれませんし、一ヶ月後かもしれません。すると、死ぬ前に自分の足跡を世界に残さなければと思い、常に高いモチベーションをキープすることができます。黒澤明監督の「生きる」という映画では、死を前にした主人公が、死ぬ気で働いて一つのことを成し遂げます。そして彼が死んだ後に、葬式に参加した一人が、死ぬ気でやれば、誰だって、成功できる!といったのに対して、あなただって明日死ぬかもしれないんだぜ?という言葉を投げかけて映画が終わっていきます。死と向き合うと、いつまでも人の記憶に残るような、素晴らしい功績を残そうと思えるのです。

6.他人に期待するのではなく自分をもっと信じるようになる
全ての人やものがいつかは消えてしまうということを理解できれば、それらに過剰な期待をしすぎることはありません。もちろん、人に失望することはあるかもしれないですが、「失望した」と思えること、そういう感情は、自分が生きているからこそ抱くことのできるものです。その重要さを噛みしめれば、冷静に現実的に、物事に接することができます。

7.小さなことに集中しすぎて無駄に汗を流さず済む
死を意識することは、物事を正しい方向へ導くことでもあります。だから困難にぶつかったとき、目の前の小さなことに、本当に向き合うべきかどうかを考えてみましょう。あなたはそこから離れることも、他にもっと楽しいことを見つけることもできます。常に死を意識している人は、そのことをわかっています。

8.幸せになることに集中できる
私たちはいつか必ず死んでしまいます。だとしたら、好きなときに好きなことをしましょう。あなたが誰かを愛しているなら、その人と一緒に過ごしましょう。スイーツが好きなら食べて、海が好きなら海の近くに移住したっていいんです。人生は限りある短い時間ですから、あなたが幸せになるために、全ての時間を使うべきです。

9.やるべきことでなくやりたいことに集中できる
常に死を意識している人は、社会規範やルールに縛られません。彼らは望むときに、やりたいことをします。彼らはそれこそが人生の重要なポイントだと信じています。常に直感に従い、自分の心の思うままに動いていきます。


リップクリーム作りワークショップのお知らせ

来る5月20日に、トランジションの友人であるNozomiさんを先生にお迎えして、正晨寺でリップクリーム作りのワークショップを開催いたします。

オイル•シアバター•ミツロウ•精油を使って作るリップクリームだそうです。素材の簡単な説明もしてもらいながら、マスキングテープでオリジナルデザインに仕上げるそうで、親子での参加もOK。おやつとお茶付きです。すぐに定員になってしまうかもしれませんので、興味のおありの方はお早めの参加表明をお願いいたします。合掌

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●日程:5月20日
●時間:13時〜14時
●定員:10名
●参加費:700円
※お子さまなど、おやつのみの場合はプラス300円

【Nozomiさんのプロフィール】
20代前半にハーブやアロマと出会い、ハーブティー専門店で働きながら、メディカルハーブセラピストの資格を取得。その時々の体調に合ったハーブティーを調合することを得意とする。現在はフリーとなり、ワクワクするような時間を提供したいという思いで活動中。


妙立寺さんにあった良い言葉

今日は布教区の総会で、熱海の妙立寺さんにお参詣させていただきました。
お寺の中にとても良い言葉が飾ってありましたので、それを(勝手に)ご紹介させていただきたいと思います。合掌

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辛い日にはお題目
悲しい日にはお題目
苦しい日にはお題目
笑えない日にはお題目
ほんとの笑いになるように

嬉しい日にもお題目
楽しい日にもお題目
幸せの日にもお題目
笑へなくなる日の来ぬように
ほんとの笑いになるように
ほんとの笑いになるように

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ありがとう
良い言葉です

ありがとう
嬉しくなる言葉です

ありがとう
幸せになる言葉です

信者はいつも
ありがとうございます
いつも いつも


その女性は何をしても続かない人でした。

今回は、ネットで見つけた良い話をご紹介いたします。いいな♪と思ってコピペしておいて随分長らくほったらかしにしていたので…元々のリンク先はわかりません。あしからず…

その女性は何をしても続かない人でした。

~中略~

彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。

ところが、「2,3日でいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるかを指が覚えていた。そうなったら鍵盤を見ずに楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
「そうだ。私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。

レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります。
彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました。

覚え込んだらあとは打つ練習です。彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました。そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。

すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
とか、いろいろなことが見えるようになったのです。それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。

相変わらず指はピアニストのように、ボタンの上を飛び交います。そうしていろいろなお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。

「この人は安売りのものを中心に買う」とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです。

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、このタイ」と話すのです。

「いいですね。おめでとうございます」
嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

「○○さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」
「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」などと言ってあげるようになったのです。

レジに並んでいたお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から換えてくるわ」
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。

彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。そんなある日のことでした。

「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。

すると、店内放送が響きました。
「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は混み合いまして大変申し訳ありません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください」

そして3回目。同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき。周りを見渡して驚きました。どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長があわてて駆け寄ってきます。そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った、その時です。

お客さんは店長に言いました。
「放っておいてちょうだい。私はここへ買い物に来てるんじゃない。あの人としゃべりに来てるんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間、レジ打ちの女性はワッと泣き崩れました

お客さんが店長に言いました。
「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づきました。
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。

それから、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わりました。彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、お客さんと楽しく会話していることでしょう。


仏教説話「カメと白鳥」

今回は、仏教説話の中より「カメと白鳥」というお話をご紹介いたします。

ヒマラヤの山の池に1ぴきのカメが住んでいました。このカメは大変おしゃべりがすきでした。あまりにもおしゃべりだったので、ついにだれもカメのあいてをするものはいなくなってしまいました。

ある時、この池に2羽の白鳥が エサをもとめてやってきました。
カメは大喜びで白鳥に声をかけました。
「こんにちわ、白鳥さんたち。今日はどうして、この池にこられたんですか?」
白鳥 たちは、カメに答えました。
「じつは、エサをさがして、山の上をとんでいたのですが、ちょうど、おいしそうな魚が泳いでいそうなこの池をみつけたので、降りてみたんです。」
「それは、ちょうどよかった。この池には白鳥さんがすきな魚がたくさんいます。 ゆっくりしていらしてください。」
白鳥はよろこんで、さっそく魚をとりはじめました。
 
やがて、白鳥たちはおなかいっぱいに魚を食べ、身繕いをはじめました。カメは、白鳥たちにさっそく話をきりだします。
「ぼくはいつもこの池でひとりぼっちです。人と話をしたいのだけども、返事をしてくれるひとはだれもいません。どうかときどきこの池にきて、話し相手になっていただけませんか?」
気のいい白鳥たちは、こころよくカメのおねがいを聞くことにしました。

その日いらい、2わの白鳥はこの池にやってくるようになりました。
「あのね、白鳥さん…それでね、白鳥さん…」
白鳥が池にやってくると待ちかまえたようにカメは話しはじめます。この池でおこったこととか、それはもうなんでもかんでもです。白鳥たちは、おちついてろくにエサも食べることができません。しかし、白鳥たちは、がまんして、しんぼうづよく、カメの話をきいてやっていました。

ある日、カメはめずらしく、自分ばかり話すのではなく、白鳥にたずねました。
「ところで、白鳥さんたちは、どんなところに住んでいるのですか?」
「私たちは、チッタクータ山の 金色のほら穴に住んでいるんです。それはもう、ほんとうにきもちのよいところです。このヒマラヤ山の中では1番です。」
「いいなぁ。ぼくもそんなきもちのいいとこに行くことができたらなぁ。」
カメはほんとうにうらやましそうな顔をして言いました。

「それならカメさん、いっしょに行きましょうよ。」
「でも、ぼくには白鳥さんのように空をとぶことができません。とてもそんな遠いところへは・・・。」
「だいじょうぶですよ。わたしたちがカメさんを運んであげます。」
それをきいて、カメの顔はパッと明るい笑顔になりました。
「白鳥さん、ありがとう。ぜひおねがいします。」

白鳥たちは、どこからか1本の棒きれをさがしてきて、カメに言いました。
「いいですか、カメさん。1つ約束してください。私たちがあなたを運ぶあいだ、けっして口をひらかないでください。」
「わかりました。ぜったい口をひらきません。」
カメは真剣な顔で答えました。

白鳥たちは、カメにひろってきた棒きれのまん中をくわえさせ、自分たちは棒きれのはしをそれぞれくわえます。やがて強い風が吹いてきました。白鳥たちが、翼をいっぱいひろげたとき、カメと白鳥たちは、空たかく舞い上がりました。 カメははじめて空を飛ぶよろこびで、おもわず声をあげそうになります。でも、白鳥たちとの約束を思い出し、ぐっと声をのみこみました。
「あぶない、あぶない、もうちょっとで口をひらくところだった。」
カメは心のなかでそっとつぶやくのでした。

カメと白鳥たちはぐんぐん飛び続けました。下には、小さくみえる村や畑がどんどん過ぎ去っていきます。やがて、ベナレスの王様の御殿の上にさしかかったとき、御殿のそばでは、村の子どもたちがあそんでいました。ひとりの子どもが白鳥たちをみつけて、
「あれっ、なんだ。」
その声をきいて、ほかの子どもたちも空をみあげます。
「あっはっは、なんだあれは。カメが白鳥のくわえた棒きれにぶらさがっているよ。」
「あっはっは、なんて、へんてこな、かっこなんだ!」
子どもたちは、大笑いしながら、はやしたてました。

その子どもたちの声が、カメの耳にとどきました。
「この悪ガキどもめ、やさしい白鳥さんがぼくのため、いっしょうけんめい飛んでくれているというのに!」
カメがおもわずそう叫ぼうとして口をひらくと・・・。ひゅるるるる~ん!!
カメは口をひらいて、くわえていた棒きれをはなしてしまったものですから、高い高い空から落ちてしまいました。

カメが落ちたところは、王さまの御殿の庭でした。御殿は大騒ぎです。
「うわぁ、空からカメがおちてきた。甲羅が割れてまっぷたつだ。」
「なんのさわぎだ。」
王様は相談役の菩薩とやってきて、体が割れて死んでしまったカメをごらんになりました。
「これはいったいどうしたことだ。どうしてこんなカメがそらから落ちてきたんだろう?」

菩薩は神通力で、なぜこうなったのかを知り、王様にわけを話しました。
そしてこう言葉を続けました。
「カメはしゃべってはいけないときに、我慢できず口をひらき、そしてとうとう死んでしまいました。口数が多く、まわりのことを考えずに、おしゃべりするととんでもないことになるのです。」

王さまは、ボーディサッタのことばをしっかりと心のなかに刻み込むのでした。