せまい量見をすてよう

開導日扇聖人ご教歌
考へて悟る位の法なれば 御題目はいらぬもの也

もう少し信心が判ったら、得心したらご奉公しますという人がいるが、凡夫の知恵で奥底の見極められるようなものなら、お祖師さまのような宗教的天才が命がけで修行なぞなさる訳がありません。

自分のせまい量見をすててお寺に近づき、口唱に励めば今よりももっと幸せになれるのだとお示しのお歌です。

昔の講談本に剣術の伝書盗みの話がのっていますが、こんないいかげんな話はありません。事実、現存している免許皆伝書を見れば、「浮舟」口伝、「松影」口伝といった具合で、全ての技は、師匠から弟子に口伝の形で伝えられています。近世の剣豪山岡鉄舟の道場春風館の免許皆伝は7日7夜、僅かな不浄の休憩と、一滴の粥を啜るだけで何百人もの精鋭と立ち合いをし、文字通り生き残ったものが得られたとのことです。つまり精魂つきたところ、理外の理で無意識に行う動作の中に剣の妙が生まれるということでしょう。

剣の道でさえそうなのですから、信心の道は尚のことです。理屈ばかり言っていてうまくいく道理がありません。

世間で苦しんでいる人の中には、自分よりはるかに賢い人が大勢います。つまり人の力だけでは幸福を永久にまもり通すことができない証拠の1つでもある訳ですから、小我をたてず、参詣に口唱に励みましょう。  (前進 昭和58年2月号より)

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